「JASジャーナルを読んで 」
いつもご連絡ありがとうございます。K.K.です。
中島代表の書かれたJASジャーナル1月号 「音との付き合い70年(その3)」の感想をお送りします。
「スープの冷める距離」のお話しは、中島代表のエピソードで私が好きなお話しの1つです。
当時の経営トップの方々を「強電界」と例えている部分も面白いです。
やはり、伸び伸びと開発業務を行える環境というのは、経営トップ陣がいる場所から、ある程度は離れていた方が良かったんでしょうか。
しかし、これが「離れ過ぎた環境」であったとすると、意思疎通が低下しスープが腐ってしまう可能性もありますので、数10分で行き来できる程度の距離が、緊張感を保ちつつも「兼ねてからやってみたかった開発」を実行できるベストな環境だったのだと思います。
スピーカー新工場のお話しは「平太郎コラム」で読んでいました。会社には様々な考え方を持った人がいますし、トップの判断1つで経営方法などが変わることがありますがこの工場は転売せずに残していて欲しかったですね。SS-G7は発売から40年以上経った今でも中古オーディオ市場では時々目にしますし、人気のあるスピーカーだと思います。
デジタルのお話しは、芝浦に技術研究所を建てるお話しから触れられていますが、現在のソニーからは全く想像できない、デジタルに対する逆風の時代があったことが面白いです。
ピュアオーディオ(アナログ)では、信号経路に余計なスイッチなど、信号劣化につながる部品を極力通さないようにすることが理想とされていますが、デジタルは、信号のA/D,D/A変換を行い、その過程で非常に複雑な回路や沢山の半導体スイッチを通過するので、信号劣化し、ピュアではない、とする考え方があります。当時、井深会長もそのようなお考えがあったことを本で読んだことがあります。
しかし、デジタルオーディオ機器の音を聞くと、信号劣化を感じるどころかノイズの無い非常に澄んだ綺麗な音がします。私はCDプレーヤーで初めて再生音を聞いた時、その「未来の音」に圧倒されワクワクしました。初号機のCDP-101は、既に操作性・形ともに、現在あるCDプレーヤーに極めて近いものであったと思います。その2年後には、D-50という信じられないくらい小さなコンパクト機が登場し、今から考えても本当に驚きの技術革新です。
1968年のNHK技研でのもぐりの開発から始まり、1969年のステレオ音での初公開、1971年にソニーに転勤されてからも従業員方々のご理解を得てデジタル機器の開発を継続され、CDの製品化にはフィリップスやディスク会社、他社オーディオメーカーとの関わりの中で、自身の夢を実現していくお話しは、とても興味がありますし勉強になります。
以上